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zoom RSS 小説 あやかしの里(その1)

<<   作成日時 : 2011/09/20 03:10   >>

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 私の経験した不思議な出来事についてお話させてください。

 貴方が信じる信じないは別として誰かに聞いてもらいたい。

 そして冷静な意見を聞かせてもらいたい。

 「あり得ない」と貴方は言うかもしれません。

 多分誰かに今から話す事を私が聞いたら同じ答えを出すでしょう。

 とにかく話を聞いてから…

 話は1ヶ月前に遡ります。

 3月の震災の影響で計画停電が実施され私が働いていた自動車工場は稼働率を半分に下げざるを得なくなり孫受け会社に契約社員として入っていた私は真っ先に解雇され寮も1ヶ月以内に出て行くように言い渡され退職金代わりに貰った10万円と、それまでの半月分の給与10万円を懐に入れ、とりあえず実家のある長野に向け昼前にバイクで出発した。

 理由は無い。

 本当なら血眼になって次の仕事先を探さねばならないのだろうけど現状では多分どこも仕事は無いだろう。

 そんな諦めの気持ちから本当に「取りあえず」帰ることにした。

 寮のある相模原からR16で八王子まで行きR20に入り、先ずは相模湖を目指す事にした。

 GWの初日という事もあり日曜にもかかわらずR16は混んでいた。

 エンジン(空冷)がオーバーヒート気味なので何度も休憩しながら走ったせいもあり高尾まで行くのに1時間少々掛かってしまった(普段なら20分も掛からない距離だ)

 高尾から大垂水峠を通り相模湖に到着したのが2時過ぎ。

 そろそろ空腹も限界に近い。

 目指すは相模湖沿いにある古いドライブイン。

 ここには以前来た事がある。

 もう10年前になるが当時東京で浪人生活を送っていた私を心配した兄が「たまには息抜きもしろよ」と仕事で忙しいのに、わざわざ休みを取り2泊3日のツーリングに連れて行ってくれた時に、たまたま立ち寄ったドライブイン。

 建物は古いけど愛想のいい店の女主人に愉快な常連らしい数人の客たちと直ぐに打ち解け短いけど楽しい時間を過ごした事が昨日の事のように思い出される。

 その後大学に合格した私は何度か相模湖を訪れたが記憶が曖昧なせいか店を再び発見する事が出来なかった。

 でも今日は店を見つけられるような気がする。

 そうそう、兄の事も話さねばならない。

 兄は翌年実験中に亡くなった。

 正確には死体は発見できず兄の遺品と思われる壊れた携帯電話を荼毘に付し葬儀を行なった。

 何しろ兄の居た4階建ての実験棟は鉄骨だけを遺し粉々に吹き飛んでいた状況だから仕方が無いといえば仕方が無い話だ。

 葬儀の日母は泣き崩れ父は人形のように無表情だった。

 兄は頭も良くスポーツも万能で優秀な成績で大学院を出て研究職に進んだ。

 一方私といえば病弱で頭が悪く勉強が大嫌いだった。

 そんな訳で小さい時から母に「お兄ちゃんを見習いなさい!」と言われ続けた。

 だから兄が死んだ時「俺が死んだ方が良かった」と本気で思った。

 引きこもりで登校拒否が続き高校には進学せず18まで何もしなかったが「せめて大検でも取りなさい」と母が再三言うので仕方なく通信講座で1年間勉強し翌年から東京の予備校に通い始めた。

 2年間の浪人生活(というのだろうか?)の末20歳で大学に合格した時は兄が一番喜んでくれた。

 私も兄が好きだった。

 ひと回り年の離れた兄と私は同じ干支だった。

 でも性格は全く違う。

 色々な思いが込み上げてくるのを感じながら走っていると涙が止まらなかった。

 そして気がつくと見知らぬ道に迷い込んでいた。

 自分ではR20を走っている積りだったが気がつけば砂利を敷き詰めた未舗装の田舎道に変わっていた。

 こんな間抜けな話は無い。

 そもそも1本道を間違えるなんて普通は考えられない。

 つまり私は想像を絶する大間抜けという事になる。

 少し走ると真新しい建物が見えてきた。

 見覚えのある建物だ。

 これこそが私が探していた10年前の、あの古いドライブインそのものだ。

 新しく立て替えたんだ

 私はそう考え全く疑わなかった。

 駐車場には新車並みのコンディションのハコスカが止まっていた。

 きっと大金をつぎ込んでいるに違いない。

 私はハコスカから少し離れた所にバイクを止めヘルメットを脱いだ。

 革ジャンのポケットからマルボロを取り出し火を点けた。

 店内で吸うのが憚られたからだ。

 ひと口煙を吐き出した時店から若いカップルが出てきた。

 多分20才そこそこだろうと思われる彼らは私の方へ近寄ってきた。

 「新型ですか?」男性がバイクを見て私に尋ねた。

 どうもバイクは良く知らないらしい。

 「ええ、まあ」私は否定も肯定もしない曖昧な答えで、お茶を濁した。

 「去年でたCBはOHCだけどコイツはDOHCか、いつ出たんですか?」

 はて、去年OHCのCBなんて出たっけ?

 困惑する私に彼は矢継ぎ早に質問を浴びせかけた。

 今どき珍しい慎太郎刈りの頭にチェックの半袖シャツ(胸ポケットに『VAN』と刺繍されていた)に白い綿パン、そして靴は白のリーガル。完全に70年代初めのスタイルだ。

 女性の方もポニーテールに白のブラウスそして水玉模様のフレアスカートと完全にロックンロールしている。

 「私も免許だけは持ってるんだけど」

 「バカ、おまけ免許でナナハンは乗れないよ!だって、うちのラビットだって乗れないくせに」

 私は2人の会話が理解できなかった。

 「俺もホントはバイク欲しかったんだけど親父が『ダメ!』っていうから『それじゃGTR買ってくれ』って言ったら」

 彼はそういってハコスカを見た。

 ハコスカが欲しいなんて珍しい若者だ。

 どうせなら最新のGTRにすればいいものを(多分そちらの方が安いだろうに)

 数分歓談して彼らは去っていった。

 澄んだエンジン音とかぎなれない排気ガスを遺して。

 店に入ると中は昔のままのレイアウトだった。
 
 奥の座敷には、おかっぱ頭の5才くらいの女の子が机の上の画用紙にクレヨンを走らせている。

 彼女は私の顔を見ると「いらっしゃい!」と可愛い声で言った。

 私は彼女の顔に見覚えがあった。

 ただ誰だったかは思いだせない。

 店の奥から30歳くらい(丁度私と同年代だろうか)の女性が現れた。

 「いらっしゃいませ」

 いかにも素人っぽい態度で言った。

 女の子に似た顔立ちから親子である事は間違いない。

 私は壁に貼られた手書きの真新しいメニューを見て日替わりを注文した。

 今日はハンバーグにエビフライのタルタルソースがけ(コーヒー付)らしい。

 ※メニューの下に「150」と書かれている。
  (多分1500円の事だろうと思われる)

 数分後に彼女が運んできた料理に私は驚いた。

 ハンバーグは所謂魚肉ソーセージというやつでタルタルソースは玉ねぎの、みじん切りを蒸したものにマヨネーズをあえたものだった(ただエビフライは絶品だった)

 そして極み付けは食後のコーヒー。

 これはネスカフェのインスタントだった。

 ※しかも砂糖入り。

 どう考えても独身男性が自炊で作る料理だ。

 今さら文句を言っても仕方が無いので精算して早々に退散する事にした。

 レジで金を払おうとすると150円だという。

 「え?」

 聞き直した私に腹を立てたのか彼女は「うちは他の店に比べても安いと思いますよ!」と不機嫌そうに言った。

 私は小銭入れから500円硬貨を取り出しレジの小皿に置いた。

 「悪い冗談は止めてください」

 彼女は怒りを露わにして言った。

 座敷の女の子は不安そうに私たちを見ている。

 今にも泣き出しそうな、その表情が妙に可愛いものの見ていると切なくなってくる。

 有線からは場違いのポールモーリアが流れている。

                             −続く−

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