芥川龍之介考(竜)

 出展は徒然草だったと思う。

 原作では結局竜は現れなく集まったギャラリーは去ってゆくという結末だが彼の作品では竜が現れ天に昇って行った。

 原作同様のストーリーが展開し最後に、どんでん返しがあるという趣向だ。


 「これから読もうと思っていたのに!」という人には「済みません」とお詫び申し上げます。

 芥川龍之介は原作を冒涜しようという気持ちが無かった事は確かだ。

 しかし、竜が現れる・現れないでは全く性格が変わってしまうこの話を彼は上手く仕上げている。

 漠然と読めば特に突出する所の無い話だが、それだけに彼の手腕が光る。

 つまり芥川龍之介オリジナルに仕上げているわけだ。

 もし、お疑いの方が居られるなら試しに既存の作品をカスタマイズしてみる事をお勧めする。

 これが如何に困難な作業か実感できるだろう。

 どちらにも共通するテーマは噂それに群集心理である。

 「たとえ、どんなに騒ごうが現実は現実だ」

 兼好法師(徒然草と断定するなら)は、そう言っています。

 ところが芥川龍之介はウソからマコトと言わんばかりに猿沢の池から竜を飛び立たせる。

 科学的に現実を止観する鎌倉人と「さも有りなん」と非現実的な現象も容認する現代人。

 何かしらのアンチテーゼを感じるのは私だけでは無いはず。

 この作品の発表は1919年(大正8年)の事だからアインシュタインがノーベル賞を受賞する3年前の話だ。

 それまでは方程式どおりに結果が求まると考えられていた万象の原理が特定できない事象も容認せざるを得ない量子力学の台頭で混沌としていた時期とも重なる。

 つまり、有り得ないと思っていた事も完全に無視できない状況も有り得るということだ。

 アインシュタインとボーアの確執も、この頃からだと思ったが。

 この20年ほど前に夏目漱石が発表した三四郎でも光子の話を扱っているし。

 それと、この作品が関係が有るかどうかは作者本人にしか分からない話だが。





 芥川龍之介短篇集

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