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zoom RSS 小説 あやかしの里(その4)

<<   作成日時 : 2011/10/13 05:39   >>

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 相模原警察署で私は運転免許証を受け取った。

 講習を受け教室を出た時私を尋問した刑事と会った。

 私が軽く会釈をすると彼は顔を背けて歩いて行った。

 受け取った二つ折りの免許証には『自二』の場所に黒い縦線が一本入っている。

 話は二週間前に戻る。

 私は二俣川の運転免許試験場に自動二輪の試験を受けに行った。

 午前中に筆記試験を受け午後から実技試験を受けた。

 くたびれたスズキの125ccのビジネスバイクでコースの外周を回って2,3度交差点を曲がると試験は終わった。

 バイクを降りて試験官の元に行くと「君初めて?」と受験票を見ながら不思議そうに言った。

 私は思わず「学生時代限定解除で散々通いました」と喉まで出かかったが「はい、でも家で父のバイクを借りて練習しました」と言った。

 試験官は「そうか、だろうな。でないと一発で満点合格は無理だ」と言った。

 それにしても簡単な試験だった。

 一本橋もスラロームもクランクも無く単に交通法規に従って数百m走っただけで合格して自動二輪全てが乗れるなんて本当に信じられない。

 事故が起こって当然だと思った。

 試験場を出てバス停でバスを待ってると辰夫くんのハコスカが近付いてきた。

 私の前に車を止めると手を伸ばして助手席のドアを少し開けた。

 私は右手を挙げて礼を言って車に乗り込んだ。

 どう?

 辰夫くんが訊いた。

 なんとかね。

 私が言うと「やっと、あれに乗れますね」と辰夫くんが言った。

 それにしても簡単な試験だったな。あれなら女の子でも受かるな。

 でも涼子は3回落ちてるんだよな。でも内緒。これ言うとアイツ怒るから。

 私が言うと辰夫くんが言った。

 家に戻ると久しぶりにゼファーに火を入れた。

 バッテリーが少し上がり気味だったもののエンジンは快調だった。

 翌日、上野のバイク街にヘルメットを買いに行った。

 というのも、この時代フルフェイスのヘルメットは未だ市販されてはいない

ので私のは被れない。まあノーヘルでも違反じゃないのだけどコケた時の事を考えれば最低でもジェットは欲しい。

 横浜線から中央線そして山手線に乗り換え2時間掛けて上野に着いた。

 学生時代を町田で過ごした私にとっては馴染みの路線だが車窓から見える景色は全く違っていた。

 特に立川からの景色は全く違う。

 こんなに田畑は無かったはずだ。

 新宿を過ぎても高層ビル群は見えず東京タワーが良く見える。

 そして上野駅周辺もまるで違う。

 浅草口で外に出てバイク街を歩いていると真新しいCB750FourとマッハVが瓦葺の平屋建てのバイク屋の店先に止められている。

 隣のバイク屋には何とW1の新車が並んでいる。

 多分この二件の店先に並ぶバイクが21世紀に持って行ければ都内は無理でも川口辺りなら新築の建売が買えるんじゃないだろうか?

 ※後から調べると当時川口辺りでは4〜5百万くらいから
  1個建てが買えたそうなので当時でも充分だった。

 後ろ髪を引かれる思いでバイク屋さんの立ち並ぶ歩道を通り過ぎ用品屋さんを回った。

 お椀型のヘルメットは千円台から有った。

 ジェット型も3千円くらいからある。

 私は五千円のアライの白いジェット型のを買った。

 そして千円のゴーグルも一緒に買った。

 実は辰夫くんの父親から免許の合格祝いという事で昨夜1万円もらったのだ。

 帰りの電車賃を除いても、まだ三千円余る。

 ゴーグルをヘルメットの中に入れ、あご紐を結び手に持ってぶらぶらさせながらアメ横を歩いた。ここは21世紀と殆ど代わらない。魚屋の店先の兄さんたちは威勢のいい声で客を呼び込み千円とか五百円とか大きく書いた値札の並ぶ洋品店に何か良く分らない少し怪しい店。本当に変わらない。

 私は御徒町から山手線に乗り神田で降りた。

 古本街に立ち寄るためだ。

 ここには学生時代に大学で使う教科書を求めてよく古本屋を回った。

 そして浮かせた金でアニメのDVDや雑誌を買ったものだった。

 それにしても沢山店がある。

 私が学生だった頃の何倍もの店の数だ。

 でもアニメ本を扱う店は無い(当たり前だが) 雑誌といえばプレイボーイに平凡パンチそれにロードショーくらいなものか。

 私は店先でロードショーを手に取り目をやった。

 イージーライダーの特集をやっていた。

 P・フォンダとD・ホッパーがバイクに乗り2台並んだ有名なシーンが載っていた。

 よっ、月光仮面さん!

 後ろで女性の声がした。

 振り返ると涼子ちゃんが居た。

 彼女はこの近くの女子大に通っている。

 私たちは近くの純喫茶に入り1時間ほど会話を楽しんだ。

 彼女は辰夫くんの事を色々教えてくれた。

 自分たちは幼馴染で小学校から高校まで同じで彼が去年までは大学生だったけど、ある理由から退学したものの父親の説得で今年再び同じ大学を受験しようとしたけど大学紛争が激しく今年の入試が中止になった事。

 へえ、辰夫くん東大生だったんだ!

 私は驚いた。

 普段の彼は全くそんな印象は受けない。

 極々普通の青年でインテリぶった所は全くない。

 退学の理由も入学して直ぐに友達を作ろうと思い入った軽音楽同好会というサークルが実は過激な学生運動をする所で大学に行くと彼らに無理やり引っ張られてアジテート文の作成を手伝わされたり集会へ無理やり引っ張られたりで、とても勉強どころではなく仕方なくのものだった。

 彼のパパは「他の大学でもいいじゃないか」と説得したんだけど結局他は受けなかったの。多分東大が良いというんじゃなくて大学自体に失望したんだと思うよきっと。

 涼子ちゃんは少し寂しそうに言った。

 店を出て彼女は大学へ戻り私は京浜東北線で横浜まで出て帰った。

 その夜、私と辰夫くんそして彼の父親の3人で私の今後の身の振り方を相談した。

 辰夫くんと父親は「ずっと居てくれて構わない」とは言ってくれるのだが、そうもいかない。

 そこで、とりあえず辰夫くんの父親が持つ借家に入り仕事に必要な資格(自動車の運転免許)を取るまでは生活の援助をするという申し入れを私は快諾した。

 彼らの親切が身にしみた。

 二輪免許が交付されるまで辰夫くんが自動車学校までの送り迎えを引き受けてくれた。

 私は二輪免許が簡単だったので初めは四輪も一発試験で行こうと思っていたのだが辰夫くんのハコスカ(GTR)を運転して一発で諦めざるを得なかった。

 というのも、この時代の乗用車はパワステは付いておらずオートマ車も当然無い(キャデラックやベンツの一部には有ったようだが) そのうえ21世紀のクラッチ付き車とは比較にならないクラッチの重さ。

 そんな訳で教習所に通い始めた訳だが…

 当然の事だが苦戦を強いられた。

 特に車庫入れ。

 ハンドルが重くて所謂すえ切りが思うように出来ない。

 少し車を動かせば軽くハンドルが切れるよ。

 と辰夫くんはアドバイスしてくれるが高々1時間の教習が終わると腕と足(特にふくらはぎ)がパンパンに張る。

 それでも何とか第二段階までオーバー無しで終え、いよいよ仮免許に向けてのコース走行へと移れた。

 苦手な車庫入れ縦列駐車もなんとかクリアできるようになったものの坂道発進が、ついつい今までのクセでサイドブレーキを引かずアクセルとクラッチ操作だけで発進してしまうのがいけないようだ。

 それでも、なんとか仮免許を取得して卒検も無事合格した。

 取りあえずストレート合格だったが元々免許を持っていて10年近く運転していたんだから当たり前といえば当たり前の話だが。 

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